日本で平和に生きる幸せを再認識
日本には自分がいかに幸せかを感じる環境が少なすぎる。
年末年始にかけて、アメリカ中の大学から学生が集まる会議に参加した。その中で1人の女の人のスピーチと彼女がスピーチの最後に投げかけた質問を通し自分はなんて幸せなんだろうと思った。
スピーチの内容は割愛するが、スピーチの最後に彼女は会場にディープな質問をした。いじめられたことはあるか、いじめたことはあるか、親が離婚しているひとはいるか、危険な目にあったことはあるかなどなど。
質問に対して当てはまる人が椅子から立ち上がるという形式。
わたしはなんて幸せな人生を送ってきたんだろう。
今までいじめられて辛い思いをしたこともない。
両親は健全。
留学だって親頼みで自分で借金もしていない。
うつ病になったこともない。
つらい病気にもなっていない。
働くことを強制されたこともない。
生きていて安全を脅かされる場面に出会ったこともない。
まわりの人が殺されたこともない。
これほど幸せな環境にいる自分がなぜ日常の不運に落胆し、幸せを感じることなく当たり前の日々を送っているのだろうか。
小さな日々のしがらみに悩み、つらいと嘆いていたことに反省。
もっと幸せにポジティブに生きてほかの人の役に立つことをしなくてはと思った。
SNSを見て、することがないといっているわけにはいかない。幸せを感じる人間として、ほかの人を幸せにする義務があると思った。
自分が満たされたら人に幸せを与えられるというけれど、自分が満たされていることを自分で理解し、納得しないかぎり行動には移せない。
幸福度が低い日本人に足りないのは自分がいかに幸せかを感じる環境だと思う。
今回のように自分は幸せであることに気づく機会はとても重要。なんともありがたい機会だった。
小さなことで悩むのはもうやめにしよう。
電車に乗り遅れた、物を壊した、忘れたなど日々の小さい不運に対し、運が悪いなあと思っていたが、今の生活を手に入れているだけでわたしは十分すぎるくらい運がいい人じゃん。幸せだな。と思いました。
今は自分の幸せを認識し、日常の小さなことに悩んでいませんが、またすぐ忘れて悩み始めてしまうと思います。
なので、自分の幸せを感じられる機会を継続的に作ることが必要だと思いました。
日本では幸せを認識する機会を増やしたらもっと幸せな国になると思います。だって幸せな資源はたくさん揃っていて幸せに気づいていないだけなんだから。