本音100%日記。

本音。ただただ思ったことそのまま日記。Noteのように使ってます。

実力主義のアメリカは何事も成果ベースで目的を意識?

アメリカはなぜやるのかを意識させる教育が根付くように思う。ある有名なTED Talksで言われていた"why"が大切だという話をちょいちょいいろいろな授業で聞く。

 

そのTEDの話はたしかこんな感じ。(英語だから完璧には理解してない)ライト兄弟は名声、お金が欲しくて飛行機を作ってたんじゃない、彼らは飛行機を飛ばしてすぐにどこへでも行けるような世の中を作りたかったから作っていた。ライト兄弟のまわりに集まってきた人はみんな同じ飛行機を飛ばしたいと思う人たち。もしライト兄弟がお金を稼ぐために飛行機を作ろうと言っていたらまわりの人が彼らに協力することはなかっただろう。つまり、人はwhyに動かされて行動するものだという話。

 

アカウンティングのクラスでもあなたがなんでアカウンティング学びたいか考えな。いらないならやらないでいいと思うけど、なにかのために必要なら一緒に勉強しようって。


なぜやりたいかを考えななんて日本の大学で言われたことなかったぞ?

 

それで感じたのが、
目的を意識するのって日本にはないアメリカ的?文化?ってこと。

 

ゼミで不採算事業を捨てられない日本企業の話を学んだ。リーダーが事業を切り捨てる勇気がなくて黒字の目処がなくてもやめれない。

そうしてる間に倒産の危機となり、困った企業は外国人のリーダーをトップに呼び事業の精算をお願いし、立ち直ったケースがあることを学んだ。

 

なんで日本企業は海外企業と比べ不採算事業を捨てれないのかというところにずっと引っかかっていたが、日本の教育、文化に通じるものを感じた。

 

いらないものは捨てる!なんでやるの!?なんで?なんで?と考えさせられる文化で育ったら意識することなく自然とゴールベース、成果ベース、利益ベースで考えるようになるのかもなあってなんとなーく感じながら生きているこの頃です。生活にも目的意識っていうのが根付いているのを日々の生活、授業から感じています。もっと理解を深めたいところですね。

 

Whyを考えてこないで生きてきたからここを意識するようにするのが難しいです。目の前のことだけ見て感情で動いてしまいます。

 

実力主義のアメリカ社会だからこそwhyを問う風習があるのかなあ。なんて。

 

結婚という行為は幸せにしてくれるのか

5時間の飛行機でイヤホンをスーツケースに入れたままで映画が見れない。とても暇。つまらない人間なので将来起きそうな結婚への架空の状況をiPhone のメモにつらつらつら....

 

何様?な私の結婚への想いなので読む価値はとくにない記事ですが、架空の状況を一緒に考えながら読んでくれたらうれしいです。

 

将来起きるであろう架空の状況設定:

好きな人とは結婚できない。でも他の人とならできる状況。これを逃したらいつ結婚できるかわからない。結婚するか独り身かならした方が生活的には幸せ。さて好きじゃないけど結婚してくれる人と結婚するべきか。

 

なんでこの仮定かって?

恋愛と同じノリで人生が進んだらこの状況になる未来が見えるから。けっこう明確に見えているから怖い。笑

 

好きな人とは付き合えない。なんなら好きな人っていうのもほんとうに好きかはわからないけどなんとなくいいなーって思う人。そういう人が自分と付き合ってくれる可能性はほぼない。ほぼというか、ない。

 

だが、
わたしは好きじゃないけど、自分を好きと言ってくれる人がいるとする。好かれてること自体がうれしい。しかも付き合ったらカップルになれ、デートを楽しめる。彼氏がいる幸せを味わえる。でもわたしはこの人をもちろん嫌いではないが、好きではない。人としては好きだけどそういう好きじゃないってとこ。(何様)
だからデートも「デートがしたい」という思いで行く。決してこの人に会いに行く!会える幸せ!というのは感じない。

 

世の中のカップルがお互い好きでカップルになってるのが心の底からうらやましい。

お互い好き同士のカップルというのがうらやましいから、彼氏かっこいいーいいなーその男の人とわたしも付き合いたい!という気は一切ない。幸せそうなのがうらやましいだけなのだ。

 

大学の友人と話すのは、
好きじゃないけど付き合うべき?いや付き合わないんでいいんじゃない?だよねえ。好きじゃないしね。っていう会話。大学で一番仲良しの友達とは常にこの話題があがっていた。お互い常に需要と供給が一致しないと嘆き、とくに誰とも長くは付き合わず、自分からチャンスを捨てたりするくせに「カップルうらやましいーー」と言うのだ。

 

好きって言ってくれるのはうれしいけど好きじゃないんだよなあー。好きになれないんだよなー。でも彼氏いないのも嫌だあー。っていう無限ループ。

 

好きな人にっていうかいいなーって思った人から!好かれたい!!ってずっと思っている。が叶うことは、ない。


ここで本題:結婚
今ある人となら結婚ができる状況。ただ、好きではない。嫌いでもない。でも、結婚したら生活は幸せになるし、20代で結婚できるし、子供と楽しい生活を送れる。これを逃したらほかに結婚してくれそうな人はいないし、一生独り身の可能性もある。という状況になったとする。(誰もあんたと結婚したいなんて思わんよ?とかいう意見は置いといて。仮定です仮定。)

 

自分が出す結論はわかっている。結婚はしない。それで独り身として生きていき、周りの結婚している友人をうやらましく思うのだ。

 

自分がした選択に後悔はないが、他の人の楽しそうな子供と旦那との結婚生活を見てうらやましいって思うんだろうなって。

なんていう矛盾。

 

うらやましくなるなら好きじゃない人とでも結婚したほうがいいの?

わからないねえ。

たぶん後悔するのわかってもしないなあ。

 

この前友達に「自分と結婚してくれるという人がいて、でも自分はこの人のこと好きじゃない。これを逃せば今後独り身。どうする?結婚できるチャンスあるなら結婚する?」

って聞いたら友達は

「20年30年一緒にいれる人としか結婚しない!」って言ってた。


ああ、それか。それだよそれ。いつも周りばかり見てなにかをする際の目的を見失うわたし。(30代になったらステータスと安定欲しさに結婚したいって思いそうだけど)

 

いやあでも20年30年一緒にいたいって思えなきゃ結婚なんて無理だよねえ。それですよ。

 

ただただ結婚したい!って思いがちょっと変わりました。迷うこともなくなりました。


ずっと一緒にいたい〜って思う人と結婚して、子供と一緒にいい暮らしがしたいです。快適な不自由のない暮らしがしたいです。

 

ちょっと物事に追われると、もう将来なにもしたくない!主婦になりたい!って思うときもあるけど、やっぱり社会に少しでも貢献し続けていたいし、自分がいなくなっても存在をなにかの形で残せる人になりたいなあって思います。

 

自分に能力があるとは思ってないけど、人からかっこいいって思われてたいし、ほめられたいし、必要とされる人でいたいし、外の世界と関わっていたいっていうのが捨てれませんね。

 

かっこいい独立した未来は想像できても、お嫁さ〜ん♡ってなる未来は一切見えない。

 

もっと夢を見なよ自分って思うけど現実的になりがちです。

 

こんなこと書いて、飛行機の5時間、暇すぎですね。

一緒にボストン行った親友に暇すぎて結婚観についてつらつら書いてたんだって言ったらやばいやつって言われました。

レバレッジシンキングと頭痛からの解放

自己啓発本を読んだ。その名もレバレッジシンキング。


レバレッジとはテコのこと。なにに重きを置いてなにに置かないかをちゃんと考えろよって話。
現状から考えるんじゃなくてゴールから考えて必要なことだけやって(テコの力を利用するように)小さい力で大きなものを得ようって話。

今までブログにつらつらと自分の感じたことを書いてたのを恥ずかしくなりましたね。成功者はやっている当たり前のことをわたしは最近になってようやく気づき、実践しようとしていた。

でも、自分で感じてなかったとしたらこの本を読んでもなにも響かなかっただろうし、実体験としての資産があったからこそ、当たり前じゃん、そういうことだったのかって気づけたんだなって思います。

 

たぶん、世の中には成功するとかいい人生を送るための特徴とか要素は何十年何百年前から同じで、でもその要素を活かしているかは経験とか行動力で決まってるんだな。聞いたところでみんな実践できないし、知ってるだけじゃなくて自分で経験から理解しなきゃ意味ないんだなってかんじです。

 

本にはいいこと書いてあるけど、現実的に同じことするのは無理とか、時代が違うからそううまくはいかないとか言われてきたけど、真似したって周りの環境がぜーーんぶ違うんだからうまく行くわけがない。本からそのまま真似ようとすることが間違ってる。

たぶん、本は自分の経験と考えを体系的に示してくれたり、今の現状にヒントを与えてくれるものなんだなっておもう。だから決してそれが正解なわけじゃないし、真似したところでうまくはいかない。

この本には自己啓発本を読むだけで終わってしまう人の話が書いてあって、まさに自分だと思いました。気づいたらやろうとしたことを全て忘れ、もとの自分としてなにも変わらぬ日々を過ごしてしまいます。本に書いてあることを真似することすらできていませんね。
「真似しながら違うなと思ったら自分でアレンジを加えていくことが大事」っていう言葉を語れるような人になりたいです。

 

ここまでが本の感想文。

以下がストレス性の体調不良ってほんとにあるんだ、この本に頭痛を直してもらったって話。

ここ2週間なんとなく具合が悪かった。熱もない喉も痛くない。なのに頭と腰がめっちゃ痛くてなんか気持ち悪くてひたすら眠い。季節の境目のせいか。すぐ治るっしょ。と思っていたが治らない。頭痛2週間目には歩くだけで頭をトンカチでガンガン叩かれてるようで学校までの15分が歩けない。痛み止めを飲み続けないと生活ができない。

これはおかしい。

なんか首に最近できたしガンじゃないの!?と病気ネタ病気テレビ番組好きなわたしはムダな勘ぐりをする。

出した結論、背中も足もズキズキしてきたしこれは悪性リンパ腫かもしれない、と、とりあえずクリニックへ。

Dr.「最近なにか変わったことは?」
私「とくにないです」
Dr.「ストレス感じてない?」
私「感じてません!」

ストレスのせいですねーで片付けられるのを懸念し、ひたすらストレスはない!と言い切るわたし。

結果
Dr.「ストレスのせいですね」
私「!?」
私「リンパ腫じゃないですかね?」
Dr.「それはない、、笑」

ストレスない言ったじゃん!ほらでた、そういうの、こんな全身痛いって言ってるんだからストレスなわけないでしょ!?


とは言いつつ何もできないので薬もらって帰宅(この薬、結局飲んでない)

ストレスも悩みもない思っていた。
でも今思えば、ボスキャリに追われてどうしていいかほんとうにわからなくて相当ストレスだったんだなって思う。

ボスキャリ、とくに行きたい企業じゃないけどとりあえずみんな出してるから応募しなきゃ。
でも働きたいと思ったことないから志望動機なんて一切思いつかない。
ぜんっぜん行きたくないけどボスキャリの目的は日本での就活の面接練習だし面接を入れなきゃだもんなあ、、。
興味を持ったこともないのでまず企業のホームページで事業内容を見るとこから始める。ああこんなことしてたのね、志望動機をつくるか。時間かかるなまったく。面倒だしやりたくないな。
コンサルのケース問題の勉強なんてしたことないからできないし、テストで落ちるのはテストを受ける前からわかっている。どうせ落ちるのに志望動機つくるの?いやだなあ。
でもせっかく書類通ったしやるか、出すか、、、、、、

 

というよくわからない作業に追われる日々。
わたしはやってないけどまわりがやってるっていう状況にストレスを感じるので、自分もやる!となってしまう。

自分に必要なことと必要ないことを見極められず、現状ばかり気にしてしまう悪い癖。

 

やる理由が「みんながやってるから。」ボスキャリに関しては作業する理由がこれ。

ばかすぎる。それで辛い辛い言ってたなんて。

現状だけ気にかけ、やらなきゃいけない気がするからとりあえずやるという悪い癖に気づかず自分を苦しめていたんだなって思います。

日本にいたときは今よりは全然ビジネス書を読んでたから考え方がときどきリセットされていたけど、最近はなにが自分に必要かなんて一切考えずに目の前のことに追われていた。 

 

そんな単純思考のダメダメ人間のわたしに必要ないものはやらなくていいの!と教えてくれた友達と先ほどの本レバレッジシンキング。

今必要なことはこれだからほかはやらないでいいの!という言葉に納得して以来ボスキャリ関連、ほとんど全部やるのやめた。

〇〇を考えるのやめよう!〇〇って考えよう!っていうポジディブさは常に持ってると思うけど、心の底から納得してそう思えていることはあんまりなくて、結局悩みから抜け出せてなかったんだろうなって思います。

でも、この数日間の今まで経験したことない頭がカチ割れそうな感じが1日で治ったのを想うと、これでほんとうに心から割り切れて、考えを変えれたんだなって思います。ありがとうございます。
ストレス性の、、頭痛、、ほんとにあるのね、びっくりです。

 

そのあとも友達から〇〇受けた??という話にはなっても気にしないようにした。わたしは全部やめたんだ。

やめたとは言いつつ、自分がやめた選考に進んでいる友達からボスキャリの履歴書どーするこーするの話をされると、ボスキャリから逃げた自分に心の中でイライライライラしていたが、もうやらないって決めたの!となにもしなかった。

これってどうすればいいの?これやった?と聞かれるといやいやいや、あんたわたしよりボスキャリの選考状況いいんだから自分でやれ?なんならわたしはなにもしてないし何もしらないのよ?うるさい!!とイライラして嫌な態度をとっちゃってたと思う。大反省。

自分より相手が進んでるって思ったら嫌。関係ない必要のないことでも同じだと思ってた人たちが自分よりすごいところにいるのがいや!プライドとかあんまりないけどなんだかんだ負けず嫌い。

 

自分だけではまわりと比べてばっかりで全部に手を出してしまうから、ビジネス書に助言を定期的にもらいながら自分なりの最高を目指して生きていきたいです。

成功者の話とか大好きでよかった。自分にプライドがないからいろんなことに寛容なのはわたしのいいところです。しかしひとつひとつにちゃんと意見も持つのですぐ流されるとかじゃ全然ないと思います。
ひとのいいところを学ぶことに恥はありません。


ボスキャリに向かう飛行機の中より
(ここまで割り切ってボスキャリにきたはずなのに受けたい企業もないしやりたいこともわかんないってボスキャリ1日目からめちゃめちゃネガティブになってずっと死んでました)

 

シアトルと日本の環境的違い

1年間のプログラムで留学してるんだ。というと、なんで日本に帰るの?アメリカで働きたくないの?アメリカの方がずっとよくない?とよく聞かれる。

 

どちらがいいか、答えはわからない。


シアトルはすばらしいところだ。ただ、日本もすばらしい。

 

どちらがいいかはわからないが、シアトルに住んで7ヶ月になるので、一度シアトルと日本の違いを主観でまとめてみようと思う。

 

【シアトルの好きなところ】
・ラフな服で過ごせる
・大学にばっちり化粧をしてくる人が少ない
・家が平均して日本より大きい
・公園が広い
・とりあえず土地が大きい
・道に生えてる木もとりあえず大きい
・健康食品がたくさんある
・いろんな国の人と話せる
・社会人と会いやすい
・肉が安い

 

【シアトルの嫌いなところ】
・外食高い
交通機関の不便さ
・雨多い、寒い
・カクテルがない
・コンビニが便利じゃない

 

【日本の好きなところ】
・すべての品質の良さ
・便利
・食べ物美味しい安い
交通機関のすばらしさ(とくに電車)
・服がおしゃれ

 

【日本の嫌いなところ】
・常に周りを気にしなきゃいけないところ
・ルールに厳格で柔軟に対応してくれないところ
・満員電車

 


書いてから思ったけど、自分の中の標準が日本の環境。そりゃそうか。

どの世界の人も「自国より〇〇」というフレームワークですべての物事を見ているのだろう。

 

わたしは以上のような点で環境面ではどちらがいいとはいうことができない。ただ、社会保障の面では断然日本がすばらしい。今は留学生という立場なので関係ないが、住むとなったら話はまた別だ。やっぱ日本かなあこれは。

 

ちなみに

こっちで働く中国やインドの人々は自国には帰りたくないからシアトルに残りたい。そのために仕事を頑張ってるんだと言っていた。

 

中国の人はPM2.5がひどく空気が健康に悪いから、インドの人たちはシアトルのほうが発展していて断然住みやすいからと言っていた。

彼らは家族、友人は自国にいるらしいが帰りたくないらしい。

 

アメリカより物価の安いところから来る人は基本的にアメリカで働くことの方をいいとしているようだ。アメリカのほうが環境が断然良いらしい。これもそりゃそうか。

 

ではヨーロッパの先進国からきている人はどう感じているのだろうか。とても気になる。しかしヨーロッパ先進国出身の友達がいない。残念だ。ぜひいつか聞こう。

 

たしかにヨーロッパの人が英語勉強したかったらイギリスに留学するよなあ。

 

内容の薄い話ですが、環境的な違いはこんなところです。

 

それよりもシアトルの人々の考え方や生き方に魅力をたくさん感じて生きています。

 

働くなら日本ベースがいいなあ。でも海外も住みたい。気持ち的な暮らしやすさは断然シアトル。。。。物的には日本。。。。

 

結論:どっちも好き!

 

 

最近のお気に入り自己啓発的言葉たち

1位「それがあなたをhappierにするならやったらいいとおもうよ」

Meetupで人生を楽しそうに生きているおデブなかわいいおじさんに言われた言葉だ。

彼の人生を表している。

「ぼくも人生をhappierにするためにダイエットしなきゃって思ってるんだ」

 

おじさん、共感だよ。

痩せてると日々がhappierになるよね、でも食べるとその時はhappierだよね。わかるわかる。もっとhappierにしたいのに食べちゃうんだよね。共に頑張ろう。

 

2位「なんでto do リストに軽いタスクまで入れるんだ、そんなの隙間時間でやればいいじゃん」

 

わたし「あーやらなきゃいけないことたくさん!」

いや、なに言ってるの?

「やらなきゃいけないことにそんなちっさいことまでカウントするな!」

「軽いことまでやるべきことの一つとして溜めるとストレスが増えるよ!」

 

心に響きます。隙間時間でささっと終わらせます!!

 

 

3位「それやらないと5年後に後悔する?」「やらなきゃいけないことなの?」

 

5年後に後悔しないことならべつにやらないでいいのか。これもやっといたほうがいいしなあ。とたくさんのことに手を出そうとしていたが小さいことで悩みすぎていた。

そんなに大切じゃないこと、あとから後悔しないならやらないでいい!!

 

逆に言うか言わないか(不平不満とか)迷う時は後悔しないなら言ってもいい!後悔するなら言うな!!ってことだよね。

 

とりあえず後悔することはするな!
後悔すると人生の幸福度下がる。

わたしとしては1位の言葉がめっちゃお気に入り。今まで後悔するかしないかっていう基準だけで判断してきたけど自分をhappierにするかしないかっていう基準も追加しよう。

 

 

将来の働き方を計画する必要性

理想の将来の働き方、生活スタイル、計画しなければ叶わない。夢を見ててもそれは夢。

叶えるなら動け!甘い!とアメリカで働く社会人の方に言われた。

 

あなた将来アメリカで暮らしたいの?暮らすにも二種類あるよ?

駐在で数年間アメリカに住めるだけでいいの?

それとも転籍してずっと住み続けたいの?

、、、、、。

 

もし住み続けたいならアメリカで働くには資格が必要。

アメリカでビジネスの世界で働く人でCPAもTOEIC900もない人に会ったことがないと言われた。たしかに資格も英語力もない日本人なんてアメリカでは必要とされないらしい。

もしアメリカで働きたいなら今すぐ資格を取得すべきだと言われた。

 

夢の生活があるなら今すぐ!資格だ!(なんともモチベーションのすばらしい資格推しの方だった。)

 

そうしなければアメリカ人と結婚することをのぞき、アメリカで働くことはほぼ不可能らしい。

 

アメリカでどのくらい暮らしたいのか。

自分の提供できる価値はなにか。

その価値を証明する資格はなにか。

取るためにはなにが必要か。

何歳までにとるのか。

結婚はしたいのか。

 

なるほど、これが将来の計画か。

漠然と〇〇ができたらなあ。と夢を見ていてもそれは夢。

本当にやりたいなら叶えるための具体的な手段をとるのみだ。

今留学をしているが、英語を話せたところでアメリカには住めない。

住みたいならどの方法どんな価値を持ってくるのか考えろ!


優しいおだやかーな言い方で話してくださったがアドバイス、現実はなんとも厳しい。のんきに深く考えずに生きているわたしにグサグサと突き刺さる言葉、、、。。

 

その方が努力してきたのがすごく伝わってきた。頑張ってきた人はほんとうにかっこいい。自分のしてきたことに自信を持っている。

 

過去の経験により、「自」分の能力を「信」頼しているからこその溢れでる自信なのだろう。

 

いつも自分は能力がないからやめとこう。って諦めてばっかりだけどもっと自分を信頼してがんばってみようっと。って思いました。

やる気を与えていただきありがたかったです。


こんなにのんきに特に苦労をしないで生きてきてるなんて幸せだなあ。がんばろっと。

やりたいなら自信を持ってやらなきゃ叶わない。叶えようとしなきゃなにも叶わない。

 

人生の先輩にたくさん教えてもらった。
こういう機会がたくさんあるシアトル、ほんとうにありがたい。

キャリアに関する機会にとても恵まれている。

 

英語を使う機会くらい自ら作っていこう。

 

言ったもん勝ち。とりあえず言え。

アメリカに来て学んだこと
「やりたいことはとりあえず言え」精神

よくわからないが、ここはアメリカなんだから言ったもん勝ち、交渉したもの勝ちという考えが自分に根付いた。

最後の最後まで強情に押し通したジャパンウィーク企画が無事終着に向かっている。

ジャパンウィークはそもそもはじめからダメもとでの交渉の連続だった。
ジャパンウィーク全体の責任者の名前を勝手にネットで検索してFacebookの友達申請してメッセンジャーで連絡をとったのがきっかけで始動。


その後もボランティアTシャツがほしいと思えばボランティア管轄に連絡し、材料費が落ちないとなれば財務部の人に話をしに言った。無事に学校から予算許可をゲット。

宇和島屋から学校への材料寄付をキャンセルされた時もとりあえず支店長のアドレスを聞きメール。

それがダメならこんどは社長をネットで検索し、勝手にアドレスを予測し交渉のメールを送った。

ジャパンウィークが無事終わったと思ったらこんどは返金問題。

予算申請を出していたのかと聞かれれば出したといい(出してない)、いいって言われたからやったんだと言い張った。勝手に買った紙皿やキッチンペーパーをはじめは予算から出せないと言われたが粘ったら受け入れてくれた。うまくいった、最高。

ほら、やっぱ言えばいいんでしょ?

適当でどうせ確認なんてしないんだから言ったもん勝ちだ。性格はゆがんできた。日本のお人好し、謙虚な精神も好きだがそんなことしてたらやってられない。


言えばなんとかなることもある。言わなければそこでおしまい。一回であきらめてはいけない。これがアメリカ。というかこれが意見を言わないと存在感がなくなる多国籍国家なのかもしれない。

日本ではダメなもんはだめ。言いたいことをいい、強情でいたら自分の評価を下げることにつながる。

空気を読めないやつという悪評も得る。

しかしこちらでは空気など気にせず思いをぶつければなんとかなることが多いように思う。

アメリカで空気を読むことは求められない。多民族国家のアメリカに読まねばならない共通の空気は存在しない。それぞれがそれぞれの空気を吸い、混ざり合って生活している。

わたしは基本は強情だし言いたいことは言いたい。

だから意見、提案を言うことが歓迎されるアメリカの文化はとても好き。

やりたいと言った場合の成功率はアメリカの方が高そうだ。

人に干渉もしなければ、人から干渉されない文化。でも求めれば与えてくれる。

逆に日本は平均であることが歓迎される。平均値を上げることによる全体のレベルアップを好むため、何もしなくても自動的にいろいろ与えてくれる。飛び抜けて優れもしなければ飛び抜けて落ちこぼれもしない。日本にいれば平均が保障されているのだ。格差の少ないすばらしい文化だ。

判断できる人も、判断できる基準もないため、総合的に見てふたつの文化に優越はない。

でも意見を言うことに対し、周りの視線を気にしたり、空気を必要以上に読む必要がないと言う点ではアメリカの文化をわたしは好む。

 

違う思いを胸に秘めながらまわりに合わせる必要はないのだ。

まわりに合わせない人は協調性はかけるが、1人の人間としてはとってもクールだ。

 

わたしはこれからの半年も「ここはアメリカ」「とりあえず言うか」精神で強く生きて生きます。 

 

言ったもん勝ち。

 

(さんざんここまで語ったが、所詮わたしは日本人。みんなが授業時間すぎても質問とかをしていると、いやいや空気読んで?、時間すぎてるよ?、みんな帰りたがってるじゃんわかる?という空気を読んでほしいという思いを捨てきれない。言ったもん勝ちだしいうのはいいと思うけどみんな空気を読もうよ、、とついつい思ってしまう。)