やらなきゃいけないというプレッシャーを克服した話
留学に来て5カ月になった。夏学期が終わり、夏休みに入り、どうも最近だらけがちだ。
やらなくてはならないことはわかっている。まず、ボスキャリのES、来月のTOEIC,たまに思い立ってやり始めいつも突然中断するHTML。
しかしまあやる気がでない。どれも始めてもすぐに中断してしまう。きっとやらなきゃいけない義務感を感じているからだ。やってみたいことがやるべきことに変わるにつれ、やる気は消沈していく。いつものことだ。
日本の大学でもテスト前でさえギリギリまでいつも何もしなかった。周りからは「よくやらないよね」と言われていた。友人に激しく同意。よくやらないよね自分。
中高大と変わらないわたしの性質。そんなわたしの今のステータスは大学4年次休学、アメリカ留学中。
親に頼んでさせてもらった留学。どうしても行きたかった留学。よく英語もっと頑張らないよねわたし。
そんな日々が続いていて、なんとなく「よくやらないよね」という自己嫌悪への自分なりの答えを見つけた。
それは、やりたくないからやらないしやれない。やりたいことをやりたいときにやる。それでいいじゃん。ってこと。
「よくやらないよね」という言葉にずっと悩んでいた。なんでわたしはやらないんだ、やれないんだ。という自己嫌悪。人からも自分の心からも感じる「よくやらないよね」のプレッシャー。
しかし、最近思うことはやらないんじゃなくて今それに興味がないだけってこと。今は興味がないだけで、またやりたくなったらやるしそれでいいじゃん。
じゃあ宿題はずっとやらなければいいのか。という話だが、究極的にはやりたくなかったらやらなきゃいいと思う。
でもわたしの場合はぎりぎりになったら成績が下がるのが嫌だから、みんなやってるのに自分だけやらないのは許せないから、最後には結局やる。
期限が迫ってくると焦り、宿題がやりたくなるから自分からやりにいく。やらない選択とやる選択で、やる選択をとりたくなるからやる。
回りくどいが、最後はやりたくてやるのだ。好きだからやるのではなく、やらないことの弊害の方が嫌だからやる。
もちろん早め早めから始めるに越したことはないのだが、やりたくないときに無理やり図書館に行ったりしても嫌だ〜やりたくない〜とだらだらし、けっきょくギリギリまで放置するのと変わらない。課題などきちんと完璧にやれたことはほぼない。これがわたし。8割のことを意外と効率よくできる。みんながすごいのを作っててももう知らない!わたしにはできないんだからいいの。
そんなこんなで、やりたくなるまでほっといてほかのことをもっと楽しみたいというのが最近の結論だ。
だから最近はやりたくなるまではやらないでいいやと割り切り、自己嫌悪もなくなりとても気楽だ。
わたしにはこれがいいが、人それぞれだろうなあ。
なぜやらないんだのプレッシャーからやっと解放されてとてもうれしい。