日々の気づき from ベルビューカレッジ

Bellevue College(ベルビューカレッジ)に通う女のリアルな日常。

早稲田のバカを誇りに思った話

アメリカは自由だからやりたいことがやれる。迷惑をかけなければなにをしてもいい。自分に重きを置き、人に邪魔されない自由さがある。というアメリカの良さを耳にした。"自由の国アメリカ"。これを感覚として理解できたことが大きな収穫だ。

 

そんなとき頭をよぎったのが早稲田の頭おかしいことの数々と尊敬している先輩に言われてきた言葉だ。

 

早稲田では昼休みにスターウォーズの劇が始まることもあったし、早稲田祭ではゲテモノを食べる競技や墨汁まみれになる競技で勝敗を競い"早稲田王"を決める奇妙なイベントがあったりもした。本庄から早稲田まで100km歩く"100kmハイク"も意味がわからない(参加済み)。しかしどれも最高に楽しい。早稲田が好きって思うのもこういう楽しいことが日常に起きるからだ。やりたいときにアホができるバカたのしい大学だ。

 

早稲田の人々のコンテンツ力、すばらしすぎる。なぜやりたいと思うのかわたしにはわからなかったが、全力の彼らがとてもかっこよくて、時には彼らが語る熱い言葉に感動していた。自分はやりたいと思わないようなバカげたことに真剣なのだ、最高に輝いていた。

 

そんな全力でバカになって人々いる人々をかっこいいと思っていたが、今思えば自分の目指す、憧れの像はなぜかいつも世間一般に価値のありそうな方に向いていた。

 

朝活してる人、交換留学に行っている人、インターンをやっている人、プログラミングができる人、公認会計士のスクールに通っている人、隙間時間を有効活用して勉強してる人などなど。
だめだめな生活の自分をこういう人に近づけようとしていた。どれもめんどくさがってはまらず、すぐやめた。なにか特定のことに注力もせず、授業にふつうに行き、サークルは平部員として楽しみ、飲食でバイトをし、暇さえあれば友達とでかける普通すぎる大学生をずっとやってきた。バカになろうとは思ったことがなかった。

 

テニスサークルには授業は行かない、単位は落とす、カラオケオール、宅飲みオールざんまいの人がたくさんいた。虚無感を感じない彼らをうらやましいと思っていた。単位落として留年しても気にしない人、就活もしない人もたくさんいた。ここまで割り切れるのほんとうにすごい。わたしも結局はなにもしないのだからここまで割り切ればいいのにそんなことはできない。悪く言えば中途半端、よく言えば両方ほどよくこなすところにいた。


フラッシュモブは学業よりもバカに全力な人がたくさんいた。早稲田のバカな企画にはだいたいモブの人が参加していた。そんな彼らはとてもうらやましい存在だった。なんでそんな一生懸命になれるのかわからなかった。自転車で日本縦断、ヒッチハイク、サバイバル生活、アジアバックパッカーをする彼らは最高にかっこよくみえた。しかし汚い、辛いことは嫌いだからやりたいとは思わなかった。短期の辛さは好きだが長期間辛いのは嫌いだ。

 

こころのどこかで単位を落として留年したり、永遠と飲み会にしている人を軽視し、意識高いことをやっている人、珍しいこと意識高いことをやっている人をすごい人とランク付けしているところがあった。

 

知らぬ間に自分の中で基準を作っていたのだ。他人同士を比べ、無意識にどちらが優れているか判断していた。そしてわたしは社会的に意味がある方を優れているとしていた。なぜ他人同士を自分の考え(社会に植え付けられた固定観念)で判断する権利があるのか。いやない。


やりたいバカを全力でやる、大尊敬していたサークルの先輩が「一生懸命な人を笑うな」といつも言っていた。じゃまをするんじゃない。と。一生懸命になにかに取り組んでいるのに陰でバカにする人がいる、それに頑張っている人は苦しんでいるという話だった。

 

おそらくわたしは他人を勝手に判断し、頑張っている人を苦しめていた加害者の1人だ。そんなことやってなんの意味があるんだ、と友達と文句をいい時にはサークルをさぼりすらしていた。最低だ。

 

すべてに意味を求め、無意識に人の悪口を言い、一生懸命な人に辛い思いをさせてしまっていたのだ。最高にかっこ悪い。なにもやらないで人を判断するだけの人、バカにする人、否定する人、ほんとうにださい。格好悪い。過去の自分が恥ずかしい。日本人がやりたいことが見つけられない原因のひとつが自分だったなんて。

 

「一生懸命な人をバカにするな!」これこそが日本の人々に必要な教えだと思った。

 

日本に暮らしている人にこれを伝えるにはどうしたらいいんだろう。日本にいたときのわたしにこの言葉はぜんぜん響かなかった。自分で理解しなきゃどんな言葉も意味はない。


単一民族が無意識に作り出す共通認識は良くも悪くも、ものすごいパワーだ。"みんな"という枠に引き込むパワーがある。外に出ようとする人を引きつけようとする。強烈な磁石みたいだ。


そんな世の中のパワーにやられず、バカおもしろいバカ最高なことに全力な人々が早稲田にはたくさんいた。

 

アメリカにきた今、バカをやっていた人々を心から尊敬する。みんなキラッキラしていた。早稲田はやりたいことを見つけている人がたくさんいる大学だったようだ。知らなかった。


早稲田ってこんなに自由な大学だったんだって思い、やっぱりどの大学よりもだいすき!って改めて思った。それぞれの人がやりたいことがたとえバカなことに見えたとしても偏見を持たず、協力してくれるすばらしい大学だ。なんて素敵な。

 

バカ楽しい早稲田のバカを最高に誇りに思う。感謝でいっぱいだ。バカをする楽しさを教えてくれてありがとう。

 

やりたいことが見つからない日本社会でやりたいことを実行している人がたくさんいる大学、それが早稲田にしかない良さなのかもしれない。