自信がないから着飾るということ
なんで日本人はファッションに気を使うのか考えてみた。
だらだらと書いていますが、
自信がないのをカバーするために着飾るのをやめたい!着飾りたいときだけおしゃれしたい!普段は快適でいたい!!
ってこと。
アメリカの大学生で毎日おしゃれに気を使い、毎日ばっちり化粧をしている人に会うことはほぼない。なぜ日本はみんなばっちり化粧をし、毎日雑誌やテレビでとりあげられるような服を着ようと努めるのだろうか。
わたし自身、アメリカではおしゃれをしようという意識がどんどん薄れているように思う。来たばかりの頃は家を出る時間の1時間前から準備を始めていたが、今では出る時間の30分前に起きたりしている。おそらく、日本にいたときは化粧がしたかったわけでも、しゃれた服を着たかったわけではなく、みんなそうしてるからしていただけなのだろう。本来、わたしは快適な服が好きだ。
日本ならジャージやビーサンで学校に行くことはまずできなかった。周りからださい、外見に気を使わない人だと思われるのが嫌だった。また、朝時間がなくてきとうな格好、てきとうな化粧で行くと自分が醜くなったようで自分に自信を失っていた。もし知り合いにあっても存在をバレないことを祈り、さりげなく通り過ぎていた。それほどまでに周りを気にしていたのだ。
日本で着飾って学校へ行っていた理由は、まわりによく思われたいから以外の何者でもない。さらに、大抵はよく見られたい特定の人がいるわけではなく、世の中の知らない人々を意識し、着飾っていようと思っていた。
ちなみに、日本では学校に行く目的は勉強ではなかった。目的は単位だ。だから行くことだけが目的で、行けばなんでもよかったのだ。
アメリカ人にとって大学は勉強する場所だ。彼らの目的は勉強。着飾ることが目的じゃない。なんて合理的な。彼らはいつもおしゃれをしないのではない。必要なときはする。気飾ることが目的の時は化粧をするのだ。彼らは自分に自信がないから化粧をするのではない。うまく言えないが、目的に合わせて、場面にフィットするために化粧をするというかんじだろうか。
そんなこんなでアメリカにきて、自分を持つっていいなあ。自信があるっていいなあ。周りとあんまり比べなくていいなあ。って思ってもわたしは日本人。外見に対する日本人的考えは抜けない。
ジムに行くだけでも気持ち的に少しは化粧をするし、家から一歩でもでるならコンタクトをする。誰も見ていないのはわかっていてもましな自分でいたいのだ。つまり自分に自信がない。この根本が変われない。
自信を持てば見えてくる世界、振る舞い、考えは変わるのだろうか。わたしはまだその世界を見たことはない。いつか自信を手に入れて新たなステージから過去の自分をバカだったなあって思える日がくるのだろうか。いや、来て欲しい。
なんて考えた夏クオーター最終日。
夏休み楽しみ!
やりたいこと全部やる夏休みにしよっと。