社会に価値を生み出してない自分の情けなさ
お金を生み出してないって、社会に価値を提供できてないってことじゃない?
今わたしはバイトをしていない。
人から対価を得ていない。価値を社会に提供していないのである。
1円も稼いでいないので、わたしは今社会の循環の輪の中に入れていない。
このままじゃだめだ!!!
バイトする!
バイトをするというか、働く!働くというか価値を生み出す!
役に立っていない自分が情けない。
自分だけのために生きて楽しんでるなんて情けない。
稼いでない自分に問題を感じるが、お金をあまり稼いでいない人が社会的価値が低いとは全く思わない。
お金を多く生み出す=多くの人に求められてる
ってことだけで、自分の周りの人に喜んでもらえてたらそれは周りの人に対して大きな価値を生み出してるんだろうなあって思います。
お金=価値への対価
かもしれないけど、価値の捉え方はいろいろあるんだろうな。わからないけど。
ただ、やっぱりなにも生み出していないのはいかん!って思います。
早く循環社会の輪に戻りたいです。今月にはインターン始まるので楽しみです。
楽しかったときのことをしたら楽しくなった
「最近のあなた、楽しそうじゃないよ。アメリカでのあなたはもっと楽しそうだった。」
「そんなあなたは魅力的じゃない」そう言われた気がした。
「口開けばネガティブだよ」
本当にその通り、おそらく今のわたしは楽しそうなオーラをまとっていないだろうし、輝いていない。
しかし、現在の環境に不満があるわけではない。
友達と話したりテレビを見たり、本を読んだりしてある程度は楽しい。ただ、特別楽しくはない。
アメリカでの生活との違いは、新しいことしていないから刺激がない、あまり人と会ってない、運動してない。これにつきる。
アメリカでは楽しかったってことは、改善のヒントはこの違いのどこかにあるんだろうな。
ということで全部やります。
新しいことして、
人に会って、
運動します。
就活言い訳にさぼってしかいなかったけど、
楽しくなきゃ意味ないし、
就活ほどほどにして新しいことやって、いろんな人の話聞いて、運動します。
というか、してみました。
結果、ありえないくらいポジティブ。
楽しさ戻ってきた。元気!笑
単純でバカでよかった!!
就活と恋愛の傾向って同じ!?
恋愛で一途な人は就活でも企業絞る!?
本当にこれ完全に主観でしかないんだけど、一緒に就活する周りの友人見る限りそうなんだよなあ。おもしろい。
ずっと彼女一途の友達はずっと前からA社行きたい!ってその企業への対策またはその業界だけの対策をしてる。
一方、いつも違う女の子といる友達は、イケてる会社を広く見てる。
また、二股とかうまくやる人は業界絞ってなくても上手くこなしてるし、
一途でも割り切って遊ぶわけでもない人は絞り気味だけど完全に絞ってないみたいな。
わたし中途半端人間だよな、ああ、たしかに就活も絞ってるように見えて絞りきってない就活してるな。
そろそろ腹をくくります。
覚悟を決めます。
スマホとわたしの2人だけの空間
スマホって不思議じゃないですか?
スマホを使っているときって、自分と携帯の2人の空間が存在してるような気がしませんか?
スマホを通して交信する相手は実在する人だとしても、自分と直接関わっているのはスマホ。人ではなく、機械。
自分とスマホで一つの世界、スマホと友達で一つの世界があって、その二つの世界がこれまたネットの世界で繋がっている。
スマホばっかりずっと使う生活って、存在しない世界を生きる生活じゃんって思いました。そんなの嫌です。もっと人間としての感覚をフル活用していきたいです。
話は戻りますが、
画面に集中していると、画面の世界に入り込んでしまいます。今はスマホのメモに書いているのですが、わたしの神経はスマホの中にあって、実在する隣のの人には一切行っていない。
ふと携帯をいじるのやめて、周りを見渡すと「あ。」と我に帰る。
電車で冷静に周りを見ると、いろんな人がいて、それぞれ別の過程があって、パートナーがいて、違う日常を歩んでるんだなって。
なんか不思議な感じがしました。
隣のおじさんはおじさんの世界を生きているんだよね。
今同じ空間にいるけど、お互い違う空間の中にいる、この感じ。
なんとも言えないけど、スマホ大好きだけど、ありがたいけど、魔力あるよね、スマホって。
スマホ様の世界に引き込まれて現実意識しなくなるもん。
まあでも、スマホスマホ言ったけど、本読んでても自分の意識は本の中に行くし、まあ意識が別の世界に行くのって悪いことでは全くないよね。
ただ、現実世界もちゃんと生きようって思った。そんなかんじ。
すべては自分事にすることから。
何事も自分事じゃないと本気にはなれない。
自分事として経験してなければ本当の意味で相手の状況はわからない。
「自分事にする」
これはなにかをするにあたり、効果的だし、意識すべきポイントだなあと感じている。
自分の過去を振り返っても、とりあえずやってみないことにはなにも身についてないし、やってみたことは案外身についていることが多いなって思う。
例えば、ギネス記録のイベント前、Facebookのイベントページを作った。ページを作ることが自分の仕事となり、初めて編集方法を検索し、形にした。またやってと言われても次はすぐ作れる。
このとき同時に初めて写真の背景を消すという作業をした。自分のこととして一回やったら自然とできた。なんだ、わたし画像編集できるじゃん。ってなれた。楽し。笑
他の例としては、メルカリとか。自分が使うものって自然ともっと学ぼうと思うし、自主的に考えやってみる。購入し、出品し、メルカリの便利さとか工夫とかめっちゃ知って感動した。メルカリのすごさとか歴史人に教えられるくらいには知ってると思ってる。
おそらく、メルカリ流行ってるしどんなもんか調べてみるかーってなってもわたしは詳しくはわからなかっただろう。
インスタで料理アカウント始めたけど、やってみたら「背景考えるのとか難!」「他の人ってこんな工夫してたのか!」とか初めて色んなことに気づいた。
実際にやってみて自分のこととして考えることって意外に重要だし、自然と役に立つものになってるし、なによりやっていて楽しいな!っていうのが最近の気づき。
最近としては、友達がやってたOne Tap Buyっていう株を売り買いできるアプリを始めた。
今まで商学部で証券取引所のこととか、株発行の仕方とか、額面価格とかさんざん学んだけど、実際ほっとんど覚えてない。
だから、「株やってみるか!自分事自分事!」って感じでやり始めた。
前は株のこと勉強しよーって思って株のこと本読んだり株売買の模擬アプリやっても、すぐやめてたけど、
今は、自ら新聞読んで企業の現状を意識するようになったり、その企業の次の新製品調べたり、企業情報調べたりしてる。
この株どうなるんだろ。気になるってなって調べちゃう。
やるか!ってなっても続かなかった勉強なはずなのに楽しいんだよなあ。不思議。
自分ごとにして自主的にやるってなんて楽しいんだろう。
やってみて嫌だったらやめるけどね。それも大事。ってくらいのてきとうさ。やりたいことは頑張るけど嫌いなことは頑張らない。わたしは嫌なことを頑張れないから。それでいいんだ。
新しいことしてるときワクワクするし、やらされるより自分でやるって楽しいから、これからも興味あることはとりあえず自分でやってみよ〜ってかんじ。
次は、プログラミングやってみたいからとりあえずホームページ作ってみるんだ。
就活の副業〜とか言ってたらビジネスじゃないんだから趣味だろ!って言われた。
あれ、趣味なかったはずなのに趣味みっけ。
情報発信で社会に価値を生み出すということ
ふと思ったこと。
同じことをしてるけど、有名で世間的にすごい人とされてる人とそうでない人の違いってなんだろう。
自分を発信しているかどうかだけじゃない?ってこと。
もちろん特別な技術を持っている人は除外だ。
同じことをしている2人でもなんでこんなに知名度に差があるんだろうって思ったことがきっかけだ。
(例えばブログを書くでも、セミナーをするでも)
それで、
それらの活動を知られているか(知名度が高いか)、あまり知られてないか(知名度が低いか)って、
情報を発信しているかどうか。だなってなった。
情報を発信することでその情報が個人だけのものから社会のものになる。
個人の経験として1人の人間にしか意味を持たなかったものが、発信することで複数の人へ価値を提供することにつながるかもしれないのだ。
だから、「大したことないし」と、心の中に留めておくだけではなく、どんどん発信していくべきだと思った。
もちろん、社会で価値があると認識されるものと、されないものがある。
だが、個人の意見だけで「価値がない」と判断してしまうのはとても勿体ない。
その情報への価値を判断するのは受け手である。
発するときに価値を個人の意見で定義することはできない。のではないか。
もしその情報が失敗談であったとしても、
それを読んだ人が知らなかった観点に気づき、同じ過ちを繰り返さなかったとしたから、個人の失敗談が社会に価値を生み出したことになる。
こういう少しづつの進歩が積み重なって、人間社会の発展に貢献できるかもしれないと思うと、
自分の個人的な経験というものにすこしだが自信が芽生えてきた。
こんな誰得のブログでも、読んだ人がなるほどなと思ってくれればそれは社会にほんの小さな価値を生んだということなのだろう。
何も変わっていない、前進したい。
わたしはなにも変わっていない。
「前にも同じこと言ったよね」
「どうせすぐ忘れるんだよ」
「あなたに言っても意味がない」
「どうせ口ばっかりでしょ」
そのときは納得したつもりで、じゃあこうすればいいんだ。って納得はする。
しかし、あれ?
生活していくに連れ、ほかの人、物事に影響されて向かうべき道を見失っている。
そして、途方にくれ、人生の迷子になる。
そう、正すべきところはいつも同じ。なのだ。
困難に打ち当たった時に人から言われるアドバイスはいつも同じこと。
上ばかり見て自信を失えば、「下も見て見なよ」とか、
「あなたはいつも10の努力を10個のことに1ずつかけているんだよ。だから全部中途半端なの。100の努力をできる人もいる。10の努力を1つのことに10かけるひともいる。それぞれの人に合った戦い方があるんだよ。自分にはなにがいいのか考えな。」
「長期的に考えればわかることじゃん」
「相手の気持ちを考えなよ」とか。
「前も言ったじゃん」っていう厳しい言葉つき。
反省したこと、こうしようって決めたことは定期的に振り返らなきゃ。
一度じゃ理解しきれない、忘れっぽいわたしは意識的に反省を振り返らなきゃまた同じことを繰り返してしまう。
前に進んでないじゃん。
一歩進んでもとに戻って、また一歩進んでもとに戻って、、、の繰り返しをしてるなって感じる。
いつも気をつけるべきことは同じなのだ。
だって、それがわたしの弱点だから。そう簡単には治らない。
ならどうするか。
弱点を意識し、それを出さないように定期的に振り返ろう。
もう繰り返したくない。
前進したい。
いつも口だけで同じことを何度もやってしまうから、誓いの意味を込めての今回の記事です。