就活と恋愛の傾向って同じ!?
恋愛で一途な人は就活でも企業絞る!?
本当にこれ完全に主観でしかないんだけど、一緒に就活する周りの友人見る限りそうなんだよなあ。おもしろい。
ずっと彼女一途の友達はずっと前からA社行きたい!ってその企業への対策またはその業界だけの対策をしてる。
一方、いつも違う女の子といる友達は、イケてる会社を広く見てる。
また、二股とかうまくやる人は業界絞ってなくても上手くこなしてるし、
一途でも割り切って遊ぶわけでもない人は絞り気味だけど完全に絞ってないみたいな。
わたし中途半端人間だよな、ああ、たしかに就活も絞ってるように見えて絞りきってない就活してるな。
そろそろ腹をくくります。
覚悟を決めます。
スマホとわたしの2人だけの空間
スマホって不思議じゃないですか?
スマホを使っているときって、自分と携帯の2人の空間が存在してるような気がしませんか?
スマホを通して交信する相手は実在する人だとしても、自分と直接関わっているのはスマホ。人ではなく、機械。
自分とスマホで一つの世界、スマホと友達で一つの世界があって、その二つの世界がこれまたネットの世界で繋がっている。
スマホばっかりずっと使う生活って、存在しない世界を生きる生活じゃんって思いました。そんなの嫌です。もっと人間としての感覚をフル活用していきたいです。
話は戻りますが、
画面に集中していると、画面の世界に入り込んでしまいます。今はスマホのメモに書いているのですが、わたしの神経はスマホの中にあって、実在する隣のの人には一切行っていない。
ふと携帯をいじるのやめて、周りを見渡すと「あ。」と我に帰る。
電車で冷静に周りを見ると、いろんな人がいて、それぞれ別の過程があって、パートナーがいて、違う日常を歩んでるんだなって。
なんか不思議な感じがしました。
隣のおじさんはおじさんの世界を生きているんだよね。
今同じ空間にいるけど、お互い違う空間の中にいる、この感じ。
なんとも言えないけど、スマホ大好きだけど、ありがたいけど、魔力あるよね、スマホって。
スマホ様の世界に引き込まれて現実意識しなくなるもん。
まあでも、スマホスマホ言ったけど、本読んでても自分の意識は本の中に行くし、まあ意識が別の世界に行くのって悪いことでは全くないよね。
ただ、現実世界もちゃんと生きようって思った。そんなかんじ。
すべては自分事にすることから。
何事も自分事じゃないと本気にはなれない。
自分事として経験してなければ本当の意味で相手の状況はわからない。
「自分事にする」
これはなにかをするにあたり、効果的だし、意識すべきポイントだなあと感じている。
自分の過去を振り返っても、とりあえずやってみないことにはなにも身についてないし、やってみたことは案外身についていることが多いなって思う。
例えば、ギネス記録のイベント前、Facebookのイベントページを作った。ページを作ることが自分の仕事となり、初めて編集方法を検索し、形にした。またやってと言われても次はすぐ作れる。
このとき同時に初めて写真の背景を消すという作業をした。自分のこととして一回やったら自然とできた。なんだ、わたし画像編集できるじゃん。ってなれた。楽し。笑
他の例としては、メルカリとか。自分が使うものって自然ともっと学ぼうと思うし、自主的に考えやってみる。購入し、出品し、メルカリの便利さとか工夫とかめっちゃ知って感動した。メルカリのすごさとか歴史人に教えられるくらいには知ってると思ってる。
おそらく、メルカリ流行ってるしどんなもんか調べてみるかーってなってもわたしは詳しくはわからなかっただろう。
インスタで料理アカウント始めたけど、やってみたら「背景考えるのとか難!」「他の人ってこんな工夫してたのか!」とか初めて色んなことに気づいた。
実際にやってみて自分のこととして考えることって意外に重要だし、自然と役に立つものになってるし、なによりやっていて楽しいな!っていうのが最近の気づき。
最近としては、友達がやってたOne Tap Buyっていう株を売り買いできるアプリを始めた。
今まで商学部で証券取引所のこととか、株発行の仕方とか、額面価格とかさんざん学んだけど、実際ほっとんど覚えてない。
だから、「株やってみるか!自分事自分事!」って感じでやり始めた。
前は株のこと勉強しよーって思って株のこと本読んだり株売買の模擬アプリやっても、すぐやめてたけど、
今は、自ら新聞読んで企業の現状を意識するようになったり、その企業の次の新製品調べたり、企業情報調べたりしてる。
この株どうなるんだろ。気になるってなって調べちゃう。
やるか!ってなっても続かなかった勉強なはずなのに楽しいんだよなあ。不思議。
自分ごとにして自主的にやるってなんて楽しいんだろう。
やってみて嫌だったらやめるけどね。それも大事。ってくらいのてきとうさ。やりたいことは頑張るけど嫌いなことは頑張らない。わたしは嫌なことを頑張れないから。それでいいんだ。
新しいことしてるときワクワクするし、やらされるより自分でやるって楽しいから、これからも興味あることはとりあえず自分でやってみよ〜ってかんじ。
次は、プログラミングやってみたいからとりあえずホームページ作ってみるんだ。
就活の副業〜とか言ってたらビジネスじゃないんだから趣味だろ!って言われた。
あれ、趣味なかったはずなのに趣味みっけ。
情報発信で社会に価値を生み出すということ
ふと思ったこと。
同じことをしてるけど、有名で世間的にすごい人とされてる人とそうでない人の違いってなんだろう。
自分を発信しているかどうかだけじゃない?ってこと。
もちろん特別な技術を持っている人は除外だ。
同じことをしている2人でもなんでこんなに知名度に差があるんだろうって思ったことがきっかけだ。
(例えばブログを書くでも、セミナーをするでも)
それで、
それらの活動を知られているか(知名度が高いか)、あまり知られてないか(知名度が低いか)って、
情報を発信しているかどうか。だなってなった。
情報を発信することでその情報が個人だけのものから社会のものになる。
個人の経験として1人の人間にしか意味を持たなかったものが、発信することで複数の人へ価値を提供することにつながるかもしれないのだ。
だから、「大したことないし」と、心の中に留めておくだけではなく、どんどん発信していくべきだと思った。
もちろん、社会で価値があると認識されるものと、されないものがある。
だが、個人の意見だけで「価値がない」と判断してしまうのはとても勿体ない。
その情報への価値を判断するのは受け手である。
発するときに価値を個人の意見で定義することはできない。のではないか。
もしその情報が失敗談であったとしても、
それを読んだ人が知らなかった観点に気づき、同じ過ちを繰り返さなかったとしたから、個人の失敗談が社会に価値を生み出したことになる。
こういう少しづつの進歩が積み重なって、人間社会の発展に貢献できるかもしれないと思うと、
自分の個人的な経験というものにすこしだが自信が芽生えてきた。
こんな誰得のブログでも、読んだ人がなるほどなと思ってくれればそれは社会にほんの小さな価値を生んだということなのだろう。
何も変わっていない、前進したい。
わたしはなにも変わっていない。
「前にも同じこと言ったよね」
「どうせすぐ忘れるんだよ」
「あなたに言っても意味がない」
「どうせ口ばっかりでしょ」
そのときは納得したつもりで、じゃあこうすればいいんだ。って納得はする。
しかし、あれ?
生活していくに連れ、ほかの人、物事に影響されて向かうべき道を見失っている。
そして、途方にくれ、人生の迷子になる。
そう、正すべきところはいつも同じ。なのだ。
困難に打ち当たった時に人から言われるアドバイスはいつも同じこと。
上ばかり見て自信を失えば、「下も見て見なよ」とか、
「あなたはいつも10の努力を10個のことに1ずつかけているんだよ。だから全部中途半端なの。100の努力をできる人もいる。10の努力を1つのことに10かけるひともいる。それぞれの人に合った戦い方があるんだよ。自分にはなにがいいのか考えな。」
「長期的に考えればわかることじゃん」
「相手の気持ちを考えなよ」とか。
「前も言ったじゃん」っていう厳しい言葉つき。
反省したこと、こうしようって決めたことは定期的に振り返らなきゃ。
一度じゃ理解しきれない、忘れっぽいわたしは意識的に反省を振り返らなきゃまた同じことを繰り返してしまう。
前に進んでないじゃん。
一歩進んでもとに戻って、また一歩進んでもとに戻って、、、の繰り返しをしてるなって感じる。
いつも気をつけるべきことは同じなのだ。
だって、それがわたしの弱点だから。そう簡単には治らない。
ならどうするか。
弱点を意識し、それを出さないように定期的に振り返ろう。
もう繰り返したくない。
前進したい。
いつも口だけで同じことを何度もやってしまうから、誓いの意味を込めての今回の記事です。
目標達成できない理由
目標達成することがすべてなのだろうか。
そもそも、目標達成って何のためにするの?
現状を変えて、理想の姿とのギャップを埋めるために目標を設定するんでしょ??
なら現状で満足してたらいくらたっても目標なんて達成できないじゃんって話。
世間一般にすごい人、成功者と言われる人はみな同じようなこと言っているなあ。と最近感じた。
同じことではない。同じようなことを言っているのだ。
物事の本質はいつの時代も同じで、「言われてみればそんなの当たり前」ということを実践している人が成功する。そういうことなのだろう。
たとえば、人と違うことをして功績をあげた人の自伝を一気に読むと、皆共通して言っているように思う。
「人と違うことをして有名になる」
「競争相手の少ないところで一番になる」
「長期的スパンで考える」
「思い立ったらすぐにやる、先延ばしにしない」
「今この瞬間から未来を変えられる」
「最後までやりきる」
などなど。
成功者は同じようなことを言う、そしてそれらを様々な方法で実行に移しているのだ。
成功している人と凡人との差は実際に行動できるかどうか。目標設定するだけでは凡人。目標を設定してそれに向かって行動できる人が成功できる人。
これだけの違い。しかし、これが難しいのだ。
最近、本をたくさん読むようになって、名声とお金を手にしている成功者たちは皆高い目標をもち、実現に向けて行動してる。ということを再認識した。(本を読むたびに感じるから正確には再再再再再再認識)
だからあなたも彼らのようになりたかったら〇〇しなさいっていうアドバイスを何個も読んだ。
それを読んで思うことは、
目標達成のための努力してるときってあんまり幸せじゃないなあ。ってこと。
もしすごい人になったらそれは幸せなんだろうけど、わたしは今も幸せだよ。っていう。
はあ、凡人。
より良い生活を手に入れるためには〇〇っていうけど、良い生活なんて人によって違うし、究極的には目標なんて達成しなくてもいいじゃん。っていうゆとり世代。
そこで、感じたことがある。
成功者は成功者するために〇〇ってことをしていた、だから成功したければ、、、って言うけど、
現状に満足してたら何度それらを聞いたところでなにも変わらないし、そもそも本気で変わろうとすら思ってないよね。ってこと。
受け身では何も変わらないよね。はい。
「わたしにはできない。」のではなく、わたしはやる必要性を感じていないんだな。
いつまでたっても「そうなったらいいな」っていうbetterを求めてるだけ。そりゃあ原動力なんてちっぽけになるよなっていう。
日本の世界と比べた原動力のなさの原因もこれだろう。危機感のなさ。
世界と比べて現状があまりにも満ち足りすぎているゆえに(世界と比べて)原動力がない日本。
(日本の中で現状に満足していないひとはそれを変える原動力を持っているのは承知だ)
だから、日本は落ち目って言われているけど、現状に猛烈な不満を感じるようになったらそこからはまたグングンあがっていくんじゃないかなあ。
それも程度問題だけど。
現状に本気で不満を感じなかったら、目標達成のために頑張るなんて無理だよね。
むしろ頑張ることで不快になることさえあるよ。
今いる現状を変えることが果たしてすべての人の幸せなのだろうか。
そんなことを考えるわたしは現在、自己分析の最中です。
働く理由の見つけ方を学んだ話
就活。
やっと、働く理由=やりたいことが見えてきた。
「これがやりたいことです」と言えるものを見つけられそうである。
やりたいことの見つけ方にやっと気づけた。「まずやりたいことから考えなよ」という意見に対し、ようやく自分なりの納得感を持てたのだ。
そのことを「やりたいことも行きたい企業もない」と言っていた自分を振り返りつつ今後のやり方についてここに決意を表明したい。
①やりたいことが決まらない
それぞれの企業に良いところがあり、行きたい企業が決められない。
だからそれぞれの企業の良いところに点数をつけて比べることにしていた。
だがしかし、これもいいしこれはいやだしでもこれはいいし、、、となり、一向に決まらない。
だから、自分が知っている企業の表面的な特徴だけを見て、業界バラバラに受けたい「企業」というのを決めていたのだ。
周りからは「まずやりたいこと決めなよ」と言われるが、抽象的なやりたいことなんて山ほどあるよ!とそのときのわたしは思っていた。
例を挙げるなら
東京にいたい、ほめられたい、好きなものに関わりたい、得意ではないことをするのは嫌、新しいことに挑戦したい、休みが欲しい、給料もほしい、安定した会社がいい、社風が合うところがいい、将来性がある、スキルを得れるなどなど。
これらすべてを求めるなんて無理なのもわかっていた。だから、それら沢山の項目に対する程度問題を感覚で区別し、企業を絞っていたのだ。
今だからわかる。わたしが上にあげたことはただのあったらいいなっていう"条件"。
条件だからやりたいことではないし、それらが揃っていたらがんばれるかと言われたらそうではない。
つまり、究極の「働くことを通じてやりたいこと」からは完全にずれていたのである。
なんだ、こんなことずっと言われてきたじゃん。はじめから色んな人が教えてくれたはずだ。
結局のところ、やりたいこと=なんのために働くのか=働く理由ってわけで、それがあればどんな環境でもある程度は幸せなのだ。
働く理由があっての条件だ。
だからやはり働く理由というのをなにがなんでも自分の過去の経験や現在感じていることから見つけなければならない。
やりたいことがないと言っている場合ではない。
わたしにもやりたいこと=働きたい理由があるはずなのである。
②やりたいことの見つけ方
そこで、それを見つけるために、今までやっていて心から楽しいと思ったことから、自分の行動の原点となるところを見つけ、それを一つの軸として具体的に落とし込んでいくことにする。
それに気づいたら、「働くことを通してやりたいこと=働く理由」というのがどんどん明確になってきてとてもたのしい。
こう思えたのは就活相談をしてハっとしたわけだが、これに気付くまでに何度ひとから言われたことか...。
軸を具体化するにあたり、まずわたしの行動の原点とはなにかを考えた。
それは「人を喜ばせること」だった。
自分について幾度となく考えてきたが、毎度行き着く先はこれなのだ。どんなエピソードをとっても、それらはすべて人を喜ばせ、人から感謝されるためなのだ。
きれいごとのようだが、わたしは「ありがとう」と言われるために行動しているといっても過言ではない。
人を喜ばせたい。これをベースに今自分の理想とするイメージを詰めているところだ。
誰に喜んでもらいたいのか、どういう手段で喜んでもらうのか、直接的か間接的かなどなど。
ひとつの明確な軸をまずひとつ決め、それに添いながら具体化していく。
ほかの条件たちはこのとき考慮してはならないのだ。これが大事。ほかの基準を盛り込むとなにがなんだかわからなくなる。
まず軸を明確に具体化する。これにつきる。この作業を進めている最中だ。
人に話せば話すほど深掘りされていく。それが快感。自分というのがわかってきてとても楽しい。
1人だと深いところまで考えられないし、楽しくない。だが、人に話しながら考えていくのはとても楽しい。
もっともっとやりたいことを明確にして、自分の1番フィットする仕事を見つけたい。
自分の軸が見えてきたら急に自己分析が楽しくなった。
まったくわからない状態は不快だが、少しできるという状態はなんとワクワクするんだろう。
もう4月末。自己分析をする時期としては遅すぎるが、まだなんとでもなる。そう思っている。