日々の気づき from ベルビューカレッジ

Bellevue College(ベルビューカレッジ)に通う女のリアルな日常。

最近のお気に入り自己啓発的言葉たち

1位「それがあなたをhappierにするならやったらいいとおもうよ」

Meetupで人生を楽しそうに生きているおデブなかわいいおじさんに言われた言葉だ。

彼の人生を表している。

「ぼくも人生をhappierにするためにダイエットしなきゃって思ってるんだ」

 

おじさん、共感だよ。

痩せてると日々がhappierになるよね、でも食べるとその時はhappierだよね。わかるわかる。もっとhappierにしたいのに食べちゃうんだよね。共に頑張ろう。

 

2位「なんでto do リストに軽いタスクまで入れるんだ、そんなの隙間時間でやればいいじゃん」

 

わたし「あーやらなきゃいけないことたくさん!」

いや、なに言ってるの?

「やらなきゃいけないことにそんなちっさいことまでカウントするな!」

「軽いことまでやるべきことの一つとして溜めるとストレスが増えるよ!」

 

心に響きます。隙間時間でささっと終わらせます!!

 

 

3位「それやらないと5年後に後悔する?」「やらなきゃいけないことなの?」

 

5年後に後悔しないことならべつにやらないでいいのか。これもやっといたほうがいいしなあ。とたくさんのことに手を出そうとしていたが小さいことで悩みすぎていた。

そんなに大切じゃないこと、あとから後悔しないならやらないでいい!!

 

逆に言うか言わないか(不平不満とか)迷う時は後悔しないなら言ってもいい!後悔するなら言うな!!ってことだよね。

 

とりあえず後悔することはするな!
後悔すると人生の幸福度下がる。

わたしとしては1位の言葉がめっちゃお気に入り。今まで後悔するかしないかっていう基準だけで判断してきたけど自分をhappierにするかしないかっていう基準も追加しよう。

 

 

将来の働き方を計画する必要性

理想の将来の働き方、生活スタイル、計画しなければ叶わない。夢を見ててもそれは夢。

叶えるなら動け!甘い!とアメリカで働く社会人の方に言われた。

 

あなた将来アメリカで暮らしたいの?暮らすにも二種類あるよ?

駐在で数年間アメリカに住めるだけでいいの?

それとも転籍してずっと住み続けたいの?

、、、、、。

 

もし住み続けたいならアメリカで働くには資格が必要。

アメリカでビジネスの世界で働く人でCPAもTOEIC900もない人に会ったことがないと言われた。たしかに資格も英語力もない日本人なんてアメリカでは必要とされないらしい。

もしアメリカで働きたいなら今すぐ資格を取得すべきだと言われた。

 

夢の生活があるなら今すぐ!資格だ!(なんともモチベーションのすばらしい資格推しの方だった。)

 

そうしなければアメリカ人と結婚することをのぞき、アメリカで働くことはほぼ不可能らしい。

 

アメリカでどのくらい暮らしたいのか。

自分の提供できる価値はなにか。

その価値を証明する資格はなにか。

取るためにはなにが必要か。

何歳までにとるのか。

結婚はしたいのか。

 

なるほど、これが将来の計画か。

漠然と〇〇ができたらなあ。と夢を見ていてもそれは夢。

本当にやりたいなら叶えるための具体的な手段をとるのみだ。

今留学をしているが、英語を話せたところでアメリカには住めない。

住みたいならどの方法どんな価値を持ってくるのか考えろ!


優しいおだやかーな言い方で話してくださったがアドバイス、現実はなんとも厳しい。のんきに深く考えずに生きているわたしにグサグサと突き刺さる言葉、、、。。

 

その方が努力してきたのがすごく伝わってきた。頑張ってきた人はほんとうにかっこいい。自分のしてきたことに自信を持っている。

 

過去の経験により、「自」分の能力を「信」頼しているからこその溢れる自身なのだろう。

 

いつも自分は能力がないからやめとこう。って諦めてばっかりだけどもっと自分を信頼してがんばってみようっと。って思いました。

やる気を与えていただきありがたかったです。


こんなにのんきに特に苦労をしないで生きてきてるなんて幸せだなあ。がんばろっと。

やりたいなら自信を持ってやらなきゃ叶わない。叶えようとしなきゃなにも叶わない。

 

人生の先輩にたくさん教えてもらった。
こういう機会がたくさんあるシアトル、ほんとうにありがたい。

キャリアに関する機会にとても恵まれている。

 

英語を使う機会くらい自ら作っていこう。

 

言ったもん勝ち。とりあえず言え。

アメリカに来て学んだこと
「やりたいことはとりあえず言え」精神

よくわからないが、ここはアメリカなんだから言ったもん勝ち、交渉したもの勝ちという考えが自分に根付いた。

最後の最後まで強情に押し通したジャパンウィーク企画が無事終着に向かっている。

ジャパンウィークはそもそもはじめからダメもとでの交渉の連続だった。
ジャパンウィーク全体の責任者の名前を勝手にネットで検索してFacebookの友達申請してメッセンジャーで連絡をとったのがきっかけで始動。


その後もボランティアTシャツがほしいと思えばボランティア管轄に連絡し、材料費が落ちないとなれば財務部の人に話をしに言った。無事に学校から予算許可をゲット。

宇和島屋から学校への材料寄付をキャンセルされた時もとりあえず支店長のアドレスを聞きメール。

それがダメならこんどは社長をネットで検索し、勝手にアドレスを予測し交渉のメールを送った。

ジャパンウィークが無事終わったと思ったらこんどは返金問題。

予算申請を出していたのかと聞かれれば出したといい(出してない)、いいって言われたからやったんだと言い張った。勝手に買った紙皿やキッチンペーパーをはじめは予算から出せないと言われたが粘ったら受け入れてくれた。うまくいった、最高。

ほら、やっぱ言えばいいんでしょ?

適当でどうせ確認なんてしないんだから言ったもん勝ちだ。性格はゆがんできた。日本のお人好し、謙虚な精神も好きだがそんなことしてたらやってられない。


言えばなんとかなることもある。言わなければそこでおしまい。一回であきらめてはいけない。これがアメリカ。というかこれが意見を言わないと存在感がなくなる多国籍国家なのかもしれない。

日本ではダメなもんはだめ。言いたいことをいい、強情でいたら自分の評価を下げることにつながる。

空気を読めないやつという悪評も得る。

しかしこちらでは空気など気にせず思いをぶつければなんとかなることが多いように思う。

アメリカで空気を読むことは求められない。多民族国家のアメリカに読まねばならない共通の空気は存在しない。それぞれがそれぞれの空気を吸い、混ざり合って生活している。

わたしは基本は強情だし言いたいことは言いたい。

だから意見、提案を言うことが歓迎されるアメリカの文化はとても好き。

やりたいと言った場合の成功率はアメリカの方が高そうだ。

人に干渉もしなければ、人から干渉されない文化。でも求めれば与えてくれる。

逆に日本は平均であることが歓迎される。平均値を上げることによる全体のレベルアップを好むため、何もしなくても自動的にいろいろ与えてくれる。飛び抜けて優れもしなければ飛び抜けて落ちこぼれもしない。日本にいれば平均が保障されているのだ。格差の少ないすばらしい文化だ。

判断できる人も、判断できる基準もないため、総合的に見てふたつの文化に優越はない。

でも意見を言うことに対し、周りの視線を気にしたり、空気を必要以上に読む必要がないと言う点ではアメリカの文化をわたしは好む。

 

違う思いを胸に秘めながらまわりに合わせる必要はないのだ。

まわりに合わせない人は協調性はかけるが、1人の人間としてはとってもクールだ。

 

わたしはこれからの半年も「ここはアメリカ」「とりあえず言うか」精神で強く生きて生きます。 

 

言ったもん勝ち。

 

(さんざんここまで語ったが、所詮わたしは日本人。みんなが授業時間すぎても質問とかをしていると、いやいや空気読んで?、時間すぎてるよ?、みんな帰りたがってるじゃんわかる?という空気を読んでほしいという思いを捨てきれない。言ったもん勝ちだしいうのはいいと思うけどみんな空気を読もうよ、、とついつい思ってしまう。)

 



 

企画運営に大切なこと

イベントを企画した。
はじめて企画全体のリーダーの1人を経験した。過去にチームリーダーは何度か経験したが全体をみる必要がある役割ははじめてだ。

結果としては200人以上を集める大盛況のイベントとなり大成功。

友人の多大なる協力のもと、当日は何事もなく、学校で前例のないイベントとしては上出来すぎるくらいだ。


、、、、。

これは結果。

 

結果は成功だが、過程は反省ばかり。全体をみると大成功だったわけでは決してない。

企画を運営するにあたりやるべきことをたくさん学んだ。

 

次に生かしたいことが山ほどある。以下反省。

 

①2人で企画したこと。イベントをやる上で中心メンバーは5人は必要。イベントを回す側として2人は不十分。

 

②メンバーとの話し合いをめんどくさがりしなかった。自分がミーティング大嫌いだから、人の時間を奪いたくなくてミーティングしなかった。事務作業メインだからしなくていいかって思ったし。

でも結局は自分のやりたいようにしたかっただけ。自分の方法が一番いい、自分で計画する方が効率的って思ってた思い上がり。

 

③メンバーを巻き込むタイミングが遅すぎて労働力のように使ってしまったこと。


人に仕事を極力任せないのが相手にとって良いと思っていたが、そうではないことを知った。
仕事を任されないと、参加者としての意識が少なくなり満足度が減るようだ。何事もほどほどが大事。企画の初めの段階から巻き込むべきだったのに反省。もっとみんなでワクワクしながら楽しい企画を作りたかった。効率的な作業工程が必ずしもいいというわけではない。

 

④メインメンバーを決める前に全体にメンバー募集をかけてしまった。
2人のリーダーとその他14人という構成になってしまった。当日に動いてもらうメンバーとそれまでの準備をするメンバーをわけるべきだった。

 

⑤手伝ってもらう目的を見失い、外人をとりあえず誘ったこと。英語とイベント運営は別に考えるべきだった。外人に募集をかけたはいいものの、なにをやってもらうかを考えておらず、数人のボランティアを断ってしまった。来てもらうことになっていた外人にも当日までとくに役割は与えておらず、とりあえず来てもらうという形をとってしまった。結果としては外人たちはそれぞれの能力を個々で発揮してくれ、ありがたい存在だったので結果はオーライ。英語を使う環境を作れし多国籍でやってるっていう楽しさも加わり"結果は"良かった。

 

⑥人にこれをやってって頼むのはよくない。
今やるべきことはこれだから、わたしこれやるねと言うべきだった。相手に主体的に仕事をしてもらうように促すべきだった。

 

⑦自分がやりたくてはじめたことなのに、友達に対してわたしはこんなにやっているのにっていう思いをいだいてしまった。見返りを求めるのはおかしいし一番言ってはいけない格好悪いやつだ。(もちろん言ってはいない)

 

⑧企画者なら全体にフォーカスするべきだった。仕事を割り振れなかったのは人に指示を出す身分としてだめだめだ。
細かい事項を2人で抱えすぎて全体のことまで考えることがキャパオーバーだった。ゆるくないと楽しくない。

 

こんな反省ばかりのだめだめな過程を救ってくれたのは友達だ。

 

最後のほうはやることが多すぎてキャパオーバーだと嘆き、友達に泣きついた。したらめっちゃ助けてくれた。


「大切なのは友達」

ひねくれてるのでこういうセリフも、こう言うセリフをSNSなどに書く人にも嫌悪感を感じるが、今日は言いたくて仕方がない。

心から友達に感謝する機会が山ほどあった。

プレゼン、司会進行を引き受けてくれた人、パワーポイントを作ってくれた人、企画の話を聞いてくれてアドバイスをくれた人、買い物に連れてってくれた人、炊飯器を家から持ってきて貸してくれた人、当日に呼び込みしてくれた人、部屋の片付けを手伝ってくれた人、机を運んでくれた人、ご飯を洗ってくれた人、もう全員に感謝です!!!!

 

みんなわたしのためっていう意識はなかったと思うけど、この企画の仕事=自分の仕事、自分がやらなきゃいけないものっていう認識があったから手伝ってくれてほんとにほんとにありがとうって思ってました。


当日を迎える前はイベント企画なんて2度とやるか!って思ったけど今回で要領を掴んだ感があるし、楽しかったしまたやりたい。笑

でも当分はもういい。

やることがあると英語に手がまわらない。時間があっても心に余裕がなくなってほかのことを全部放り投げ、ひたすらさぼってしまう。

今回のおかげで英語はともかく、人として学ぶことが多すぎだ。

反省から学ぶことが多すぎたが、やってよかったこと、成功の鍵となったもの、うれしかったこともたくさんあった。 

ボランティアが全員分ちゃんと登録できててTシャツがみんなゲットできてほんとうによかったし、ホストファミリーとmeetupの友達が来てくれたのがうれしすぎた。

 

文書にすると「こんなもんか」ってかんじだ。内容はただの楽しい企画cooking workshop。意識高い活動ではまったくない。

いろいろな人と連絡をとり、たくさん交渉はしたが、長期間にわたるリサーチなどはしてないし、そこまで大変なことは特にしていない。

 

それなのに自分の持ってた思いとかが重なるとめっちゃ感情的になる。そんな自分に笑えてくる。主観は怖い。

 

客観大事。

早稲田のバカを誇りに思った話

アメリカは自由だからやりたいことがやれる。迷惑をかけなければなにをしてもいい。自分に重きを置き、人に邪魔されない自由さがある。というアメリカの良さを耳にした。"自由の国アメリカ"。これを感覚として理解できたことが大きな収穫だ。

 

そんなとき頭をよぎったのが早稲田の頭おかしいことの数々と尊敬している先輩に言われてきた言葉だ。

 

早稲田では昼休みにスターウォーズの劇が始まることもあったし、早稲田祭ではゲテモノを食べる競技や墨汁まみれになる競技で勝敗を競い"早稲田王"を決める奇妙なイベントがあったりもした。本庄から早稲田まで100km歩く"100kmハイク"も意味がわからない(参加済み)。しかしどれも最高に楽しい。早稲田が好きって思うのもこういう楽しいことが日常に起きるからだ。やりたいときにアホができるバカたのしい大学だ。

 

早稲田の人々のコンテンツ力、すばらしすぎる。なぜやりたいと思うのかわたしにはわからなかったが、全力の彼らがとてもかっこよくて、時には彼らが語る熱い言葉に感動していた。自分はやりたいと思わないようなバカげたことに真剣なのだ、最高に輝いていた。

 

そんな全力でバカになって人々いる人々をかっこいいと思っていたが、今思えば自分の目指す、憧れの像はなぜかいつも世間一般に価値のありそうな方に向いていた。

 

朝活してる人、交換留学に行っている人、インターンをやっている人、プログラミングができる人、公認会計士のスクールに通っている人、隙間時間を有効活用して勉強してる人などなど。
だめだめな生活の自分をこういう人に近づけようとしていた。どれもめんどくさがってはまらず、すぐやめた。なにか特定のことに注力もせず、授業にふつうに行き、サークルは平部員として楽しみ、飲食でバイトをし、暇さえあれば友達とでかける普通すぎる大学生をずっとやってきた。バカになろうとは思ったことがなかった。

 

テニスサークルには授業は行かない、単位は落とす、カラオケオール、宅飲みオールざんまいの人がたくさんいた。虚無感を感じない彼らをうらやましいと思っていた。単位落として留年しても気にしない人、就活もしない人もたくさんいた。ここまで割り切れるのほんとうにすごい。わたしも結局はなにもしないのだからここまで割り切ればいいのにそんなことはできない。悪く言えば中途半端、よく言えば両方ほどよくこなすところにいた。


フラッシュモブは学業よりもバカに全力な人がたくさんいた。早稲田のバカな企画にはだいたいモブの人が参加していた。そんな彼らはとてもうらやましい存在だった。なんでそんな一生懸命になれるのかわからなかった。自転車で日本縦断、ヒッチハイク、サバイバル生活、アジアバックパッカーをする彼らは最高にかっこよくみえた。しかし汚い、辛いことは嫌いだからやりたいとは思わなかった。短期の辛さは好きだが長期間辛いのは嫌いだ。

 

こころのどこかで単位を落として留年したり、永遠と飲み会にしている人を軽視し、意識高いことをやっている人、珍しいこと意識高いことをやっている人をすごい人とランク付けしているところがあった。

 

知らぬ間に自分の中で基準を作っていたのだ。他人同士を比べ、無意識にどちらが優れているか判断していた。そしてわたしは社会的に意味がある方を優れているとしていた。なぜ他人同士を自分の考え(社会に植え付けられた固定観念)で判断する権利があるのか。いやない。


やりたいバカを全力でやる、大尊敬していたサークルの先輩が「一生懸命な人を笑うな」といつも言っていた。じゃまをするんじゃない。と。一生懸命になにかに取り組んでいるのに陰でバカにする人がいる、それに頑張っている人は苦しんでいるという話だった。

 

おそらくわたしは他人を勝手に判断し、頑張っている人を苦しめていた加害者の1人だ。そんなことやってなんの意味があるんだ、と友達と文句をいい時にはサークルをさぼりすらしていた。最低だ。

 

すべてに意味を求め、無意識に人の悪口を言い、一生懸命な人に辛い思いをさせてしまっていたのだ。最高にかっこ悪い。なにもやらないで人を判断するだけの人、バカにする人、否定する人、ほんとうにださい。格好悪い。過去の自分が恥ずかしい。日本人がやりたいことが見つけられない原因のひとつが自分だったなんて。

 

「一生懸命な人をバカにするな!」これこそが日本の人々に必要な教えだと思った。

 

日本に暮らしている人にこれを伝えるにはどうしたらいいんだろう。日本にいたときのわたしにこの言葉はぜんぜん響かなかった。自分で理解しなきゃどんな言葉も意味はない。


単一民族が無意識に作り出す共通認識は良くも悪くも、ものすごいパワーだ。"みんな"という枠に引き込むパワーがある。外に出ようとする人を引きつけようとする。強烈な磁石みたいだ。


そんな世の中のパワーにやられず、バカおもしろいバカ最高なことに全力な人々が早稲田にはたくさんいた。

 

アメリカにきた今、バカをやっていた人々を心から尊敬する。みんなキラッキラしていた。早稲田はやりたいことを見つけている人がたくさんいる大学だったようだ。知らなかった。


早稲田ってこんなに自由な大学だったんだって思い、やっぱりどの大学よりもだいすき!って改めて思った。それぞれの人がやりたいことがたとえバカなことに見えたとしても偏見を持たず、協力してくれるすばらしい大学だ。なんて素敵な。

 

バカ楽しい早稲田のバカを最高に誇りに思う。感謝でいっぱいだ。バカをする楽しさを教えてくれてありがとう。

 

やりたいことが見つからない日本社会でやりたいことを実行している人がたくさんいる大学、それが早稲田にしかない良さなのかもしれない。

 

 

生活リズムと心の関係

生活リズムがこれほど感情の起伏に関係してるとは意識したことがなかった。生活リズムの乱れは身体だけにとどまらず、心にまで影響してくる。知らなかった。

 

きっかけはいつものやる気がしない!ってやつ。(n回目)

 

日本ではやる気がしないときはなにも気にせずひたすらベッドの上でだらだらし、1日寝て食べるだけ生活をしていたが、どうもこっちでは自己嫌悪に陥るから困る。

つまらない人間なので、やる気がしない。気力が全く出ない、なぜだ。と自問自答。2つほどパターンが見つかった。


当たり前のことなのに22年間知らずに過ごしてきたのだ。自分の中ではじめてやる気がしない理由を見つけたのでひとつの成長とする。


①寝すぎ
あほか、というかんじだが、日中のやる気しない病、主にこれ。しかもだいたいは夜12時とかに寝て6時に起き、やる気を出すために朝ごはんを食べ、再びベッドに戻り11時前に起きるという生活をやったときに訪れるのだ。10時間近く寝てることになる。


これをやると全身がだるい。重くて動かない。しかもずっと眠い。最悪だ。
いくらでも寝れるところだが、これじゃいかんと無理やり自分を叩き起こし、活動をはじめる。
が、なにもしたくないのだ。ゲームがしたいわけでもYouTubeが見たいわけでも映画が見たいわけでもない。

とにかく、なにもしたくなくなる。だるいにとどまらず気力すら奪われていくのだ。


気力がなくなるのは寝すぎが原因だと22年間気づいたことがなかった。やる気がしないのはこれが原因だったのか。


わかりはしても、朝ごはんを食べた後に寝る快感がやめれない。土日に時間を気にせず、朝ごはんを食べた直後に昼寝する至福といったらない。魔力だ。改善には時間がかかりそうである。

 

②食べ物の消化にエネルギーが使われるとき
夜やる気がしなくなる原因がこれにあたる。消化にエネルギーが使われるから頭からエネルギーがなくなるのかと納得。お腹いっぱいだとなにもやる気がしない。力が抜ける。いかんいかん。
最近まで夜にやる気がしない理由がわからなかったけどこれだ。夜は満腹だからだ。
このときも、宿題だけではなく、なにもしたくなくなるのだ。なにもしたくないからなにも考えずにSNSを見る。とりあえず見るだけだから楽しいわけではない。これもすぐ飽きるからだいたいいったん寝る。昼寝ならぬ夜寝だ。夜8時すぎに一回寝て夜11時前に起きる。とても最悪な昔から変わらぬわたしあるあるだ。
これも8時くらいに寝る至福がたまらなくてやめられない。だめ人間だ。深夜まで起き、次の日眠くてだめだめな生活を送るのが見え見えなのにやめれない。夜寝は中毒性がある。


①の寝すぎ悪循環をやめるためにちょっとでも眠いときは朝起きるのをやめた。土日のやる気しない自己嫌悪が想像以上に減った。やはり寝すぎか。わたしは無気力の社会不適合者ではなかったようだ。一安心。

 

②は止むを得ず(言い訳)なることが多すぎるので改めたいところである。

 

昔からやる気がしないなにもしないっていう自分に嫌気がさしてばかりですが、わたしはわたしと割り切りこれからも解決策を見つけつつ自分とうまくやっていこうと思います。

 

理想の自分像と比べると今のわたしはだめ人間。でも完璧な生活をしてる理想の自分になるよりもだらだら昼寝する快感を味わえる今のだめ人間のが幸せだったりして。ね。

英語の発音の年齢制限

頑張れば誰でも発音よくなるっしょって思ってたけどそれは非常に難しく、発音に年齢制限があるという事実は本当だととても実感している。

 

結婚してアメリカに来た日本人の奥さんたちは20年以上住んでいて英語をすらすら話しているけどジャパニーズイングリッシュなことが多い。発音だけでいったら1年間の留学生たちとあまり変わらないように思う。


わたしのホストファミリーは中国人でアメリカに30年以上住んでいるが、チャイニーズイングリッシュ。来たばかりの中国人の友達と発音はほぼ同じ。中国で彼らは大学を卒業したあとアメリカでMBAをとったらしい。
MBAをとることがきっかけでアメリカに来て今もこっちで働く日本人に何人も会ったが、彼らも皆ジャパニーズイングリッシュ。


やっぱり大学卒業してから(23歳以上?)のタイミングで来てる人は発音に母国語のくせが残るのかあってかんじ。


それに比べ、高校からアメリカに来てる人はネイティブイングリッシュに近い。たとえまだ3年しか住んでないとしても。

 

発音の話をアメリカ人にしてみたら20歳超えて来てる人はくせがあるねえ。と言っていた。20歳がボーダーっていうのはリアルなラインだ。もちろん早いことに越したことがないが20歳を超えたらもう遅すぎ、間に合わないというのは本当だろう。

 

発音がきれいな日本人はだいたいみんな中学くらいから洋楽が好きだったと口を揃えて言う。

 

ちなみにわたしは大学に入る前はほぼ洋楽なんて聞いてこなかった。海外ドラマを好きになったこともなかった。time is too lateだなあ。

 

英語がすらすら話せなくても発音がきれいな日本人にとても憧れる。かっこいい。

 

頭が良い人が聞いたら、発音より内容だ、英語はコミュニケーションだから伝えられることが大事なんだとか言うだろうなあ。

 

今の自分は発音も内容もどっちも中途半端。どっちに重きを置いてもプロにはなれないのはわかっている。さてどうしたものか。